自分が感じることと同じことを他人は感じていない。という話。
こんにちは^^かえるんです。
今日は、いかにこの世を快適に生きるか。そして、そのために何を実践したらよいかと考えた時に一つのヒントとなる話をしたいと思います。それは、そもそもの自分の中にある「設定」の話です。
私もよくやってしまうのですが、
「なんで、あなたはそうなの?!」
と、自分以外の人に対して思う時があります。
例えば、家の中がちらかっていて、夫も子供も、何も感じていないみたい、笑。そのなかで、私は一人家の中がちらかっていることに対して、悶々としている。そんな時のことです。
ここで、自分の中にある設定が、
「自分が感じることと、同じことを他人は感じる」
という前提を無意識で設定していると、
「なんで、あなた達は(私と同じように)この部屋の散らかりに悶々としないの?」
という事を思うことになります。
下手すると、他人が自分と同じように感じていないことに悶々とし続けて、お怒りモードになることさえ起きてきます。
一方で、自分の中にある設定が、
「自分が感じることと同じことを他人は感じていない」
という前提を設定していると、
「私は片付けたいと思っているけど、私以外は感じていないんだなぁ。」
と、単なる事実として思えるわけなんです。
そもそも、私にとっては「散らかり」かもしれませんが、子供にとっては、「宝の山」かもしれないし、夫にとっては「宝の山で遊ぶ可愛い我が子」しか見えてないのかもしれません。
私がなんでこんなことを書いているかというと、私が「自分が感じることと同じことを他人は感じていない」と設定できている人間だから。ではなく、「自分が感じることと同じことを他人は感じている」という前提で話してしまう傾向にあるからでして、ある意味自戒の意味も込めて、今日はブログを書いているわけです。
特に、ビジネスや友人より親密な家族、なかでも、家族の関係性にある「夫」に対して、この前提を無意識に行使してしまいがちです。
家族だからこそ、「同じことを感じて欲しい」という願いでもあると思うのですが。
「自分は自分、夫は夫、見ているものも感じているものも、全く異なる人間」
と、相手を自分と同じだと思わずに、対応できている場合は、夫婦関係が良好な場合が私の場合多いです。
さて、夫婦関係の話になりましたが、ちょっと話をずらして、
「自分が感じることと同じことを他人は感じていない。」
という前提ではなく、
「自分が感じることと同じことを他人は感じている」
という前提で生きている人は、
夫婦の間柄だけでなく、他人との付き合いに関しても、すこぶるストレスのたまる毎日を送ることになります。
例えば、
時間ぴったりに来るべきだと自分は思っている。なのに、どうして、あの人は遅刻に対して何も思わないのだろうか。どうして、みんな遅刻を注意しないんだろう。
とか、
会社では絶対に手を抜かずに一生懸命働くのが、当たり前なのに、どうしてあの人は全然働かないんだろう。それに対して、怒りを感じない周りもおかしい。
とか、
いちいちいちいち
思うことになります。
まあ、とにかく、毎日「どうして、自分はこう感じているのに、みんな感じないだ!」と、叫びまくっている毎日になるわけです。
それはそれで、生きにくい毎日ですよね。
一方、自分はこう感じている。他人は全く違う。と、知っている人は、そういった生きづらさはなくて、自分の感じ方も他人の感じ方も、違う事実として受け止めるだけです。そして、自分と他人は違うという前提に立つので、「他人に興味がわく」のですね。
人って、自分以外の人から、意見を押し付けられるのを本能的に嫌がる人間なので、違うという前提で他人から興味を持たれた方が、嬉しい気分になります。
違いを楽しむ、
違いを享受する。
そんな生き方の方が、やっぱり快適なんですよね。
何度も言いますが、これは私自身が既に出来ているというよりも、私自身も「自分が感じることと同じことを他人は感じている」という前提に立って、物事を感じてしまうことがあったところから、前提を考え直してみた。という経緯があったわけでした。
では、また書きます^^
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